09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

これからの「正義」の話をしよう その2 

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
(2010/05/22)
マイケル・サンデルMichael J. Sandel

商品詳細を見る

続きです:

次のお題は、平等主義について。実力主義、自由主義に対する考え方なのですが、ロールズという人は格差原理という考え方を主張しています。例えばこのように。

足の速い者がいるなら、ハンディキャップを課すのではなく、自由に走り、ベストを尽くせるようにする。ただし勝利は自分だけのものではなく、そのような才能を持たない人々とも分かち合う必要があることを前もって確認しておく。



で、これをロールズの言葉で小難しく述べると:

格差原理とは、いわば個人に分配された天賦の才を全体の資産と見なし、それらの才能が生みだした利益を分かち合うことに関する同意だ。天賦の才に恵まれた者は誰であれ、そのような才を持たない者の状況を改善するという条件のもとでのみ、その幸運から利益を得ることができる。



さて、次はアリストテレス(また難しい人が出てきました)の正義論の話をしましょう。
まずはこんな話から。

テキサス州のとある高校の一年生のコーリーはチアリーダーとして人気を集めていました。脳性麻痺のため車いすで動き回っているにもかかわらずフットボールチームの応援で、選手とファンの熱気をかき立てていました。ところが、チアリーダーのキャプテンの父親が「コーリーを外せ」と学校に申し入れ他の親も同意したことで、結果的に彼女はチームを去ることになった。コーリーの母親は、娘の人気への反感だと主張している。



さて、さて、この話を小難しく解説すると、チアリーディングには機能的な目的(選手の応援)だけでなく、名誉や模範性にまつわる目的(特定の長所や美徳の体質)があるから、こんな論争になったのだと。

アリストテレスの正義論について、次の二つを紹介します

1 正義は目的にかかわる。正しさを定義するには、問題となる社会的営みの「目的因(目的、最終目標、本質)」を知らなければならない。
2 正義は名誉にかかわる。ある営みの目的因について考えることは、少なくとも部分的には、その営みが称賛し、報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。


では、問題です。笛を生徒に配るとします。最もよい笛をもらうべきなのは誰でしょうか?アリストテレスの考え方に従って、答えなさい。

さて、答えは、「笛を最も上手に吹く人」です。
笛を配るのに、笛を上手く吹く能力以外の基準(たとえば、富、肉体的美しさ、運、善行をしている)で区別するのは正義にかなっているとはいえないからです。
んーーー、納得したような、しないような。

では、少しまとめに入ってゆきます。

カントとロールズにとっては、正しさは善に優先する。人間の義務と権利を定義する正義の原理は、善様な生活をめぐって対立する構想のすべてに中立でなければいけない。
一方でアリストテレスは、善(社会が割り当てる地位、名誉、権利、機会)の意味について塾考せずして、正義について塾考することはできないとしている。


この本での正義に対する考え方は三つありました。それぞれの考え方をまとめると以下の通りになります。

1 正義は功利性や福利を最大限にすること(すなわち最大多数の最大幸福)を意味する
2 正義は選択の自由の尊重を意味する(リバタリアンであれ、平等主義者であれ)
3 正義には美徳を滋養することと共通善について判断することが含まれる


著者の結論としては3の考え方を支持しています。
1の功利主義的な考え方は正義と権利を原理ではなく計算の対象としているところで間違っているし、2の自由に基づく考え方は、ある特定の権利が尊重されるべきだとしているが、尊重に値する権利を選びだすことはせず、人々の嗜好をあるがままに受け入れているだけだと述べています。

公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。



さて、共通善とは?
これは、私たちが皆で考えなければいけないテーマなのでしょう。重いテーマですが、この議論を避けて通ることはできないのだと思います。

今回、久々に読み応えのある本に出逢うことができました。
単なるビジネス書ではなく、私が日頃からぼんやりと考えていた「正義」の形が、おぼろげながら見えてきたような気もします。もちろん、著者の考え方が唯一無比のものではないでしょうが、正義、善についての考え方のヒントを貰ったような気がします。

ちょっと小難しく、手強い本ですが、様々な具体例から考えさせるというのは、アメリカの大学でよく用いられているケース・スタディ的でとっつき易い部分もあります。お勧めの一冊です。


ブログランキングに参加しています
人気ブログランキングへ
ポチっとクリックしていただけますと幸いです。皆様の応援、感謝しております。
にほんブログ村 本ブログ ビジネス書へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

[edit]

これからの「正義」の話をしよう その1 

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
(2010/05/22)
マイケル・サンデルMichael J. Sandel

商品詳細を見る


NHKの「ハーバード白熱教室」で有名なマイケル・サンデル教授の大ベストセラー。かなり難解な部類に入るであろう分厚い哲学的な本なのに、色々な本屋さんで平積みにされています。今回は読むのに凄く頭を使いました(笑)。速読でざーっと読んでもなかなか頭に入って来ないし。。

で、頭を使った割には、なーーんとなくしか残っておりません(汗)
これが素人の限界でしょうか。
ただこの本のテーマである「正義」、とても大切なことだと思います。私も仕事をするときに、「この仕事は果たして正義なのか?」を常に自分に問いかけています。利益は上がるかもしれないけれど、その仕事が正義でなければやるべきではないと判断しています。

ただし、これまで「正義」とは何か?について深く考えたことはありませんでした。正義は正義だろう、答は決まってる、と思い込んでいました。ところが、この本を読むと、色々な形の正義が出てきます。頭が頭がぁああああああ、こんがらがっちゃいます。

高校の頃に少しだけ倫理・社会(古いですねえ、年がばれますねえ)で勉強した哲学の基礎知識もほとんど忘れた速読おやじに果たしてこの本を吸収することができるのか?!難しいお題を選んでしまいました(泣)。

この本に関しては、これまでのような形式での記事はかけないと思いますが、ほんの少しでも本の良さ、素晴らしさが分かるような箇所を抜き出しながら、紹介したいと思います。

あなたは電車の運転士で100キロで疾走中。前方を見ると5人の作業員が線路上で補修をしている。電車を止めようとするがブレーキが利かない。ふと右を見ると待避線がある。そこにも作業員がいる。だが一人だけだ。どうすべきだろうか?



あなたは運転手ではなく傍観者で線路を見下ろす橋の上に立っている。線路上を電車が走ってくる。前方には5人の作業員がいる。ブレーキは効かずこのままだと大惨事だ。そのとき、隣にとても太った男がいて、あなたはその男を端から突き落とし電車を止めることができる。その男は死ぬが、5人の作業員は助かる



最初の質問には5人を殺すより1人の方がまだマシだという答えを出す人が多いが、次の質問には人を突き落として殺すなんてとんでもないという答えをほとんど人が出すだろう。でも、5人と1人を比べるだけなら、何が違う??道徳的なジレンマです。

南大西洋の沖で船が難破し、4人が救命ボートで脱出したが、何十日間も漂流し、食べ物も全くなくなった。その中で1人が体調を崩し、死にかけているように見えた。残りの3人は、その1人を殺し、その肉と血で命をつないだ。。



あなたが裁判官だとしたら、どう裁きますか?
えーっ、どうって。。。。さてこれを功利主義的な考えで判断すると、利益とコストだけで考えることになるのだ。1人は死んだが4人が助かったからプラスではないかと。でも、それはおかしい、と普通に考えますよね。ここで著者は正義への二つのアプローチがあると書いています。

正しい行いとは、総合的に考えて、最善の状況を生み出すすべてのこと。そして、もうひとつのアプローチは、道徳的に言えば、結果だけを考えればよいわけではないとするもの。

次にリバタリアニズム(自由至上主義)を紹介します。
リバタリアンは、経済効率の名においてではなく人間の自由の名において、制約のない市場を支持し、政府規制に反対する。リバタリアンの中心的主張は、どの人間も自由への基本的権利を有すると言う。


だからリバタリアンは「自業自得なんだよ」と言い、シートベルト着用義務法なんかには反対するし、法的強制力を用いて、美徳の概念を奨励することにも反対するし、所得や富の再分配は大嫌いなのです。

最近の日本もこんな感じになってない?アメリカの影響なんでしょうかね。。

さてお次はカントです。「純粋理性批判」とか「道徳形而上学原論」とか非常に難しい本を書かれた哲学者です。もちろん、私も名前のみかろうじて知ってるというレベルです。

カントは「道徳的か否かを知りたければ動機を見よ」と言っています。
善行が喜びをもたらすかどうかではなく、そうするのが正しいからという動機で善行をなすことが重要だ

カントの考え方で、「えーーーーっ」と思った例を一つ紹介します。

問題です。

友人があなたの家に隠れていて、殺人者が友人を探しに戸口にやってきたら、殺人者にウソをつくのは正しいことでしょうか? 



さて、カントの答えは「NO」なのです。「えーーーーーーっ、えーーーーーーっ」カント曰く、真実を告げる義務は、どんな状況でも適用される、と。カントの屁理屈(すんません、カントさん)では、「真実を述べることは、相手が誰であっても適用される正式の義務だ。たとえそれが本人や他者に対して、著しく不利な状況をもたらそうとも。

じゃあ、カントの言うことを守り、且つ、友人を守るためには??
真実ではあるが誤解を招く表現を使うことだ。「一時間前、ここからちょっと行ったところにあるスーパーで見かけました」とか。。

長くなりますので、2回に分けます。


ブログランキングに参加しています
人気ブログランキングへ
ポチっとクリックしていただけますと幸いです。皆様の応援、感謝しております。
にほんブログ村 本ブログ ビジネス書へ
にほんブログ村

[edit]

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。